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ひだまり山荘海外トレランツアー、トルデジェアン・ハイライト4日目、8月22日
2019-09-24
9時40分スタート。
足取りは軽く、天気も最高。
足取りは軽く、天気も最高。
きょう越える峠はひとつで、距離も20㌔です。
そしてきょうのゴールはボナッティ小屋。
そこでUTMBのコースと合流するのです。
なんだか、苦しさよりも楽しさが先行しそうです。
そしてきょうのゴールはボナッティ小屋。
そこでUTMBのコースと合流するのです。
なんだか、苦しさよりも楽しさが先行しそうです。
さて、今回はストックを使う人が半数以上でした。
日本のレースではストック禁止のことも多いので、
ストックを使うランナーは
多いとはいえません。
日本のレースではストック禁止のことも多いので、
ストックを使うランナーは
多いとはいえません。
僕も最近使い始めたのですが、
高低差の大きいトルデジュアンでは
ストックによる推進力が非常に有効でした。
また下りでのバランス保持にとても役に立ちました。
高低差の大きいトルデジュアンでは
ストックによる推進力が非常に有効でした。
また下りでのバランス保持にとても役に立ちました。
また、パックは、
レインウェアなどを持つので、
1日分とはいえ、それぞれ、
12㍑から20㍑のパックで走りました。
レインウェアなどを持つので、
1日分とはいえ、それぞれ、
12㍑から20㍑のパックで走りました。
フラッサティ小屋(2537m)に立ち寄り、
スープでひと休みをしたら
いよいよ2936㍍のマラトラ峠に向かいます。
スープでひと休みをしたら
いよいよ2936㍍のマラトラ峠に向かいます。
マラトラ峠は、トルデジェアンの中でも
重要な存在です。
重要な存在です。
レースではフラッサティ小屋が320.3㌔地点、
最後の関門であり、
マラトラ峠が最後の峠で岩場なのです。
最後の関門であり、
マラトラ峠が最後の峠で岩場なのです。
登っていくと、
岩肌がむき出しで斜面が屏風のように聳え立つ
大きな岩稜が見えてきました。
岩肌がむき出しで斜面が屏風のように聳え立つ
大きな岩稜が見えてきました。
その岩壁に右から斜めに道が見えます。
その道は問題なく登っていきますが、
最後は岩場をほぼ直登し、マラトラ峠に到着。
その道は問題なく登っていきますが、
最後は岩場をほぼ直登し、マラトラ峠に到着。
峠は両脇が切りたった岩場で、
数人しか立てません。
数人しか立てません。
越えたその奥、雲の切れ間に、
最後のジェアン=巨人である
モンブラン(4810m モンテ・ビアンコ)が聳えていました。
最後のジェアン=巨人である
モンブラン(4810m モンテ・ビアンコ)が聳えていました。
レースのランナーは
ここをどんな思いで越えるのでしょうか。
300㌔をノンストップで走ってきた人だけが
立てる峠。
あとはほぼ20㌔、ほぼ下りでゴールです。
ここをどんな思いで越えるのでしょうか。
300㌔をノンストップで走ってきた人だけが
立てる峠。
あとはほぼ20㌔、ほぼ下りでゴールです。
ここからザレ場の斜面を1時間も下っていくと
眼下にフェレ谷、
その先に4208㍍のグランドジョラス南壁が現れ、
モンブラン山群が広がって見えました。
眼下にフェレ谷、
その先に4208㍍のグランドジョラス南壁が現れ、
モンブラン山群が広がって見えました。
さらに下っていき、きょうのゴール、
16時15分、ボナッティ小屋に到着!
16時15分、ボナッティ小屋に到着!
去年のUTMBハイライトツアーの時は、
ここは通過しました。
ここは通過しました。
大きく素敵なこの小屋は、
ボナッティの名前がついていて、
アルパインクライマーにとっては
特別な思い抱かせてくれるところです。
ボナッティの名前がついていて、
アルパインクライマーにとっては
特別な思い抱かせてくれるところです。
ヴァルテル・ボナッティ(1930-2011)は、
イタリアの登山家です。
イタリアの登山家です。
1950年から60年代、
折から、ヨーロッパ・アルプスでの
厳しいルートからの初登攀が競われた時代に
綺羅星のように現れたクライマーで、
数々の素晴らしい記録を打ち立てました。
折から、ヨーロッパ・アルプスでの
厳しいルートからの初登攀が競われた時代に
綺羅星のように現れたクライマーで、
数々の素晴らしい記録を打ち立てました。
しかしあまりにすごすぎる実力は、
周りからのそしりや裏切りにあい、
35歳でクライミングから引退してしまいます。
周りからのそしりや裏切りにあい、
35歳でクライミングから引退してしまいます。
そんな栄光と悲劇のクライマー、
ボナッティが日本に来た時、
20代前半の僕は、
目を輝かせて講演を聞きに行ったものです。
なので、僕にとって、
トルデジェアン、巨人の道では、
最後に出会った巨人はボナッティでした。
ボナッティが日本に来た時、
20代前半の僕は、
目を輝かせて講演を聞きに行ったものです。
なので、僕にとって、
トルデジェアン、巨人の道では、
最後に出会った巨人はボナッティでした。